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    カテゴリ: アニマルかつみ

    パチンコ型スロットマシン、略して「パチスロ」が誕生してから5年後の昭和60年。再び、スロットマシン業界に大変革が巻き起こる

    それまでの風俗営業等取締法が大改正され、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(俗に言う新風営法)となった。
     
    遊技機に関する規則も大幅に改訂され、それまで「その他の遊技機」とされていたパチスロが「回胴式遊技機」という名称で正式に法律の上で定義されたのである。
     
    さらに、遊技機の仕様や規格、ホールでの営業・運用についても全国統一基準が定められ、現在のような保通協(保安電子通信協会)による型式試験がスタート。

    この試験にパスしなければ遊技機は発売できないことになった。
     
    この大改正で誕生したのが、パチスロ1号機。以後、従来の旧基準のマシンは0号機という呼称で区別されることとなった。
     
    先述のとおり、1号機で初めて全国統一基準が定められたわけだが、では0号機の時代はどうだったかというと、ざっくりいえば各都道府県で認可の基準はバラバラだった。
     
    たとえば、貸しメダル料金にしても1枚20円のところもあれば10円、あるいは7円と都道府県ごとに異なっていて、それに対応するために同じ機種でも設置される都道府県ごとに仕様が異なっていたのである...ニュースサイトで読む

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    (出典:biz-journal.jp)

     【Twitterアカウント】@ptrend2020 

    喫茶店のウェイターが時給450円くらいだった時代に時給800円。加えて、交通費全額支給さらには食事の補助もあり
     
    そんなのような好待遇に惹かれてパチスロメーカー・パル工業の工場でのアルバイトを始めたのだが、破格の高給だけあって仕事は決して楽なものではなかった。
     
    最初に配属されたのは、梱包・発送部門。完成した台をビニール袋緩衝材で包んで段ボール箱に入れ、トラックに積み込むのだが、これがもうなかなか骨の折れる肉体労働だった。
     
    なんせパチスロ台は重い。いまの台に比べると造りもずいぶんと簡素でシンプルだったが、それでも30~40キロはあったと思う。

    ひとりで何台もさばくのは、冗談抜きで荷が重すぎた
     
    「おい、気をつけろよ!! 1台ナンボするか知ってるか。40万やぞ、40万!!」
     
     大きくて重い箱を抱えてよろめいていると、小肥りの班長からそんな檄が飛ぶ
     
    「えーっ。こんな、駄菓子屋の店頭にあるゲーム機と変わらんもんが、40万もするの? それが売れまくってるって? 世の中、おかしい…続きを読む

    ani_hama12269607
    (出典:biz-journal.jp)

    aikatu0526
    (出典:biz-journal.jp)

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